特徴等 |
黒澤家は、徳川幕府の直轄地山中領にあって代々大総代を務めた家柄で、日航機が遭難したあの御巣鷹山の管理にも当たっていたという。住宅は正面21.8m、側面15.9mという大規模な2階建の養蚕農家で、1階は代官などを迎えるための式台玄関をはじめ3ヶ所に玄関をもち、4部屋の客座敷を設けるなど、大総代にふさわしい造りである。2階は専ら養蚕に使用され、生活のための部屋は設けられていない。このような山間地に、かかる格式のある民家が保存状態も良く残されていることは、嬉しい驚きであった。 参考資料:現地の説明板( 2006-11-24 |
旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) | 旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
42 旧黒澤家住宅 | 江戸末期 (1830-1867) |
桁行21.8m、梁間15.9m、二階建、切妻造、正面及び背面庇付、板葺、風呂場及び便所附属 |
旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) | 旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) |
旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) | 旧黒澤家住宅 (撮影:2006-11) |
群馬県の重要文化財建造物 2017-12-20 現在 |