番号・名称 年 代   構造等
10 旧矢篦原家
住宅
江戸後期
( 1751-1829)
桁行24.0m、梁間13.2m、一重三階、入母屋造、茅葺、北面及び東面庇付、こけら葺、南面水屋附属
特徴等
旧矢篦原家 (やのはらけ) 住宅は、もと岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にあった合掌造の建物である。江戸時代宝暦年間(1751-1764)に飛騨三長者の一人といわれた岩瀬の(矢篦原)佐助の家として飛騨高山の大工によって建てられたと伝えられている。御母衣(みぼろ)ダムの建設によって湖底に沈む運命となったため、三渓園に寄贈され、昭和35年(1960)に移築された。左半分が式台付玄関をもつ書院造で畳敷き、右半分が普通農家の造で板張りという、左右で全く異なる形式構造をもっている。入母屋造の妻面の3階部分の火灯窓が珍しく、この家の格式の高さを物語っている。
参考資料:現地の説明板(三渓園)/三渓園案内リーフレット/国指定文化財等DB(文化庁)
2006-3-18
旧矢篦原家住宅 (撮影:2007-2) 旧矢篦原家住宅 (撮影:2006-2)
     
       
       
       
旧矢篦原家住宅 (撮影:2006-2)
       
       
       
       
リストに戻る
リストに戻る
    神奈川県の重要文化財建造物      2018-1-24 現在