番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
008 金沢城石川門櫓門 | 天明8年(1788) | 櫓門、入母屋造、鉛瓦葺 |
特徴等 |
金沢城跡は金沢市東部、小立野台地の先端部に立地する近世の平山城跡である。天正8年(1580)、柴田勝家(越前国主)が、それまで当地にあった一向一揆の尾山御坊(金沢御堂)を攻略し、佐久間盛政が初めて金沢城主となり城郭整備に着手した。賤ヶ岳の合戦後、前田利家が金沢城主となり、3代藩主利常による寛永8年(1631)の大火後の造営で現在の城の縄張りが定まり、約300年間にわたって百万石を領した前田家歴代の居城となった。現存する石川門、土蔵及び三十間長屋が重要文化財に指定されており、城跡は公園として一般に開放されている。 石川門は金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の表門(一の門)、櫓門(二の門)、折曲り一重の続櫓、二重二階の隅櫓である櫓、及び櫓の左右に続く太鼓塀から構成され、その全体が石川門と呼ばれている。天明8年(1788)の建造で、櫓門は入母屋造、鉛瓦葺である。 参考資料:現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁)/石川県HP 2009-6-6 |
石川県の重要文化財建造物 2018-1-26 現在 |