番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
34 豊見親墓 仲宗根豊見親の墓 |
江戸後期 (1751-1829) |
墓室、うりがー、周囲石垣よりなる |
|
35 豊見親墓 知利真良豊見親の墓 |
江戸後期 (1751-1829) |
墓室、つんぷん、周囲石垣よりなる | |
36 豊見親墓 あとんまの墓 |
江戸末期 (1830-1867) |
墓室、周囲石垣よりなる |
特徴等 |
豊見親墓 (とぅゆみゃばか) は仲宗根豊見親の墓 (なかそねとぅゆみゃのはか) 、仲宗根豊見親の三男・知利真良豊見親の墓 (ちりまらとぅゆみゃのはか) 、仲宗根豊見親の継室・あとんまの墓という3つの墓から構成されている。宮古独特のミャーカ墓(巨石墓)と沖縄本島の横穴式の折衷様式で、入り口正面のヒンプンと墓室上部の短い石柱がこの墓の特徴になっている。宮古島を代
表する石造建築で、当時の石工技術の高さと豊見親の権力がうかがわれる貴重な史跡である。 参考資料:現地の説明板(平良市教育委員会)/mahae plus(沖縄観光コンベンションビューローHP)/国指定文化財等DB(文化庁) |
沖縄県の重要文化財建造物 2017-12-14 現在 |