特徴等 |
この観音寺は大悲山と号し、真言宗醍醐派に属している。寺伝などによると、大化年間(645-650)、若狭の八百比丘尼がここに千手観音を安置したのが始まりで、天平年間(729-749)に行基が荒廃していた堂宇を再建し、この地を塩船と名付けた。その後、平安時代の貞観年間(859-877)に比叡山の僧安然が塩船に来て観音堂を再興し、阿彌陀堂・薬師堂、また杉本坊・梅本坊・円林坊など12坊を建て、隆盛を極めたと伝えられている。また、室町時代に三田氏が諸堂・諸仏を修理し、再興を図ったとされる。 本堂は、室町時代末期の建立とされ、木造寄棟造、屋根は茅葺である。内陣中央の本尊千手観音菩薩を安置する厨子は極めて精巧な作りである。 参考資料:東京都文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-8-25 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
観音寺本堂 | 室町後期 (1467-1572) |
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、茅葺 |