特徴等
この観音寺は大悲山と号し、真言宗醍醐派に属している。寺伝などによると、大化年間(645-650)、若狭の八百比丘尼がここに千手観音を安置したのが始まりで、天平年間(729-749)に行基が荒廃していた堂宇を再建し、この地を塩船と名付けた。その後、平安時代の貞観年間(859-877)に比叡山の僧安然が塩船に来て観音堂を再興し、阿彌陀堂・薬師堂、また杉本坊・梅本坊・円林坊など12坊を建て、隆盛を極めたと伝えられている。また、室町時代に三田氏が諸堂・諸仏を修理し、再興を図ったとされる。
阿弥陀堂は、正面1間側面2間の身舎(もや)に庇を廻らした、いわゆる阿弥陀堂形式をとっている。ただし、身舎の前方1間分は吹放、後方1間分は正面を中敷居に格子、側背面を3方板壁の仏壇としている。天井は身舎部分のみで、庇部分は屋根裏をそのまま見せている。また、縁、縁長押(えんなげし)や組物を用いず、 軒も屋根裏をあらわにしており、未完成の建物と考えられている。昭和31年(1956)から解体修理が行われ、屋根の茅葺から茅葺風銅板葺への変更、建具を含む柱間装置の復旧・整備、仏壇回りの復原が行われた。建立年代は室町時代末とされているが、江戸時代初期の可能性もあると見られている。内部には檜材寄木造阿彌陀三尊像が安置されている。

参考資料:東京都文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-25
       
       
       
       
観音寺阿弥陀堂 (撮影:2004-11) 観音寺阿弥陀堂 (撮影:2004-11)
       
       
       
       
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    東京都の重要文化財建造物     2018-1-19 現在 
名 称 年 代   構造等
観音寺阿弥陀堂 室町後期
(1467-1572)
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺形銅板葺
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観音寺阿弥陀堂 (撮影:2004-11) 観音寺阿弥陀堂 (撮影:2004-11)