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    東京都の重要文化財建造物     2018-1-19 現在 
特徴等
この観音寺は大悲山と号し、真言宗醍醐派に属している。寺伝などによると、大化年間(645-650)、若狭の八百比丘尼がここに千手観音を安置したのが始まりで、天平年間(729-749)に行基が荒廃していた堂宇を再建し、この地を塩船と名付けた。その後、平安時代の貞観年間(859-877)に比叡山の僧安然が塩船に来て観音堂を再興し、阿彌陀堂・薬師堂、また杉本坊・梅本坊・円林坊など12坊を建て、隆盛を極めたと伝えられている。また、室町時代に三田氏が諸堂・諸仏を修理し、再興を図ったとされる。
仁王門は、3間1戸の8脚門で、屋根は茅葺切妻造、装飾的要素が少ない素朴な8脚門である。建立年代は、阿彌陀堂、本堂とともに室町時代末と考えられており、背面などの柱は風食が進んでいる。正面には「大悲山」の額を掲げ、正面両脇には木造金剛力士像が安置されている。昭和28年(1953)に解体修理され、その後何度か屋根の葺替修理が行われている。
参考資料:東京都文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)//国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-25
観音寺仁王門 (撮影:2003-12) 観音寺仁王門 (撮影:2003-12)
観音寺仁王門 (撮影:2004-11) 観音寺仁王門 (撮影:2004-11)
名 称 年 代   構造等
観音寺仁王門 室町後期
(1467-1572)
三間一戸八脚門、切妻造、茅葺
       
       
       
       
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