特徴等
高幡山明王院金剛寺は関東三大不動の一つに挙げられ、高幡不動として親しまれている。その草創は平安時代初期に慈覚大師円仁が清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王を安置されたのに始まる。
仁王門は当初楼門として計画されたが途中で変更され、楼上を覆うような形で切妻の屋根がかけられ、外観上は単層であった。昭和34年(1959)解体修理の際、楼門として復原され、銅板葺となった。楼上の扁額「高幡山」は、洛東智積院7世運敞僧正の筆になるもの。仁王像は室町時代のものと推定されている。
参考資料:金剛寺案内パンフレット/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-22
金剛寺仁王門 (撮影:2004-11) 金剛寺仁王門 (撮影:2004-11)
       
       
       
       
リストに戻る
    東京都の重要文化財建造物     2018-1-19 現在 
金剛寺仁王門 (撮影:2004-6) 金剛寺仁王門 (撮影:2004-11)
名 称 年 代   構造等
金剛寺仁王門 室町後期
(1467-1572)
三間一戸楼門、入母屋造、茅葺形銅板葺
       
       
       
       
リストに戻る