東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
旧渋沢家飛鳥山邸 晩香廬 |
大正7年 (1918) |
木造、1階建、桟瓦葺、建築面積79.24㎡ |
特徴等 |
曖依村荘 (あいいそんそう) と呼ばれた旧渋沢邸は、明治11年(1878)に接待用の別荘として建設され、明治34年(1901)から渋沢栄一が亡くなるまでの30年間は本邸として使用された。この邸の名は、中国の詩人陶淵明の詩の一節「曖々遠人村、依々墟里煙」によるものと伝えられている。母屋、文庫、茶室などが点在し、内外から多くの賓客が訪れた。栄一の死後、遺言によって曖依村荘は竜門社に寄贈された。第二次世界大戦の空襲により大部分の建物を失ったが、晩香廬
(ばんこうろ) と青淵文庫 (せいえんぶんこ) は焼失を免れ、今日に至っている。 晩香廬は、栄一の喜寿を祝って現在の清水建設4代目当主から贈られた建物である。竣工は大正6年(1917)で、暖炉・蒔入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具も添えられた洋風茶室である。栄一は晩香廬をこよなく愛し、賓客の接待の場として使った。その名の由来は諸説あるが、自作の詩「菊花晩節香」からとったとも、「バンガロー」をもじって栄一が付けたともいわれている。 参考資料:渋沢資料館案内パンフレット/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-8-20 |