東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
雑司ヶ谷 鬼子母神堂 |
本殿: 寛文4年(1664) 相の間・拝殿: 元禄13年(1700) |
本殿:桁行三間、梁間三間、一重、流造 相の間:桁行三間、梁間一間、一重、両下造 拝殿:桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付 総銅板葺 |
特徴等 |
雑司ヶ谷鬼子母神堂は、本殿の前面に相の間(幣殿)を介して拝殿を接続する権現造社殿である。本殿は、寛文4年(1664)に、広島藩主浅野光晟の正室満姫(金沢藩主前田利常の3女)の寄進により造営されたと伝わり、拝殿と相の間は元禄13年(1700)の建立である。本殿は桁行3間、梁間3間の流造、相の間は、桁行3間、梁間1間の室で、中央に3段の階段を設ける。拝殿は桁行5間、梁間4間、入母屋造、正面の屋根を千鳥破風で飾り、軒唐破風付の向拝を設けている。江戸時代を通じて安産などの鬼子母神像信仰により庶民の崇敬を集め、今も木立の中に静かにたたずんでいる。 参考資料:現地の説明板(東京都教育委員会)/東京都文化財情報DB 2005-8-20 |