名 称 | 年 代 | 構造等 | |
厳有院霊廟 水盤舎 |
元禄12年 (1699) |
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、銅瓦葺 |
特徴等 |
徳川幕府の4代将軍徳川家綱は、 慶安4年(1651)に父・家光の死に伴って、わずか10才で将軍の座につき、延宝8年(1680)39才で没した。法名を厳有院といい、その霊廟が寛永寺に造立された。霊廟は大部分、維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失したが、勅額門と水盤舎が難を免れて現存している。 水盤舎は桁行1間、梁間1間、1重、切妻造、銅瓦葺で、勅額門の東方に建っている。勅額門が家光の上野霊廟のものを転用したのとは異なり、当初から家綱のために造立されたものである。 参考資料:現地の説明板(台東区教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-8-15 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |