名 称 | 年 代 | 構造等 | |
厳有院霊廟 勅額門 |
延宝9年 (1681) |
四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺 |
特徴等 |
徳川幕府の4代将軍徳川家綱は、 慶安4年(1651)に父・家光の死に伴って、わずか10才で将軍の座につき、延宝8年(1680)39才で没した。法名を厳有院といい、その霊廟が寛永寺に造立された。霊廟は大部分、維新後に解体されたり第二次世界大戦で焼失したが、勅額門と水盤舎が難を免れて現存している。 勅額門は、切妻造、銅瓦葺の四脚門で、前後に軒唐破風が付く。昭和32年の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であった 参考資料:現地の説明板(台東区教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-8-15 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |