名 称 年 代   構造等
厳有院霊廟
勅額門
延宝9年
(1681)
四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺
厳有院霊廟勅額門 (撮影:2004-8) 厳有院霊廟勅額門 (撮影:2004-3)
厳有院霊廟勅額門 (撮影:2004-8) 厳有院霊廟勅額門 (撮影:2004-3)
特徴等
徳川幕府の4代将軍徳川家綱は、 慶安4年(1651)に父・家光の死に伴って、わずか10才で将軍の座につき、延宝8年(1680)39才で没した。法名を厳有院といい、その霊廟が寛永寺に造立された。霊廟は大部分、維新後に解体されたり第二次世界大戦で焼失したが、勅額門と水盤舎が難を免れて現存している。
勅額門は、切妻造、銅瓦葺の四脚門で、前後に軒唐破風が付く。昭和32年の改修時に発見された墨書銘によって、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられている。
参考資料:現地の説明板(台東区教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-15
       
       
       
       
       
       
       
       
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