特徴等 |
この建物は、明治23年(1890)に、東京芸術大学の前身である東京音楽学校の本館として建設された。設計は文部省技師山口半六と久留正道が、音響設計は上原六四郎が、それぞれ担当したと言われている。わが国初の本格的な音楽ホールを有し、長年わが国の音楽教育において中心的な役割を担ってきた。木造総2階建で、中央家と翼家からなり、中央家2階にある講堂兼音楽ホールが奏楽堂と呼ばれている。この奏楽堂から、滝廉太郎はじめ多くの音楽家を世に送り出してたきたが、老朽化が進み、昭和56年(1981)に使用が中止された。これを台東区が譲り受け、昭和62年(1987)に現在地に移築・保存し、現在区の音楽ホールとして活用をはかっている。 参考資料:現地の案内板(台東区教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-8-15 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
東京音楽学校 奏楽堂 |
明治23年 (1890) |
木造二階建、建築面積785.4㎡、玄関ポーチ付、桟瓦葺 (左右両翼家の内中央家に接続する階段ホール以外の内部を除く)、 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |