特徴等
寛永寺は、寛永2年(1625)、徳川家の菩提寺として3代将軍家光の側近でもあった天海僧正により建立された。堂塔伽藍は広大な寺域に整然と配置され、隆盛を誇った。慶応4年(1866)の上野戦争によりほとんどが焼失したなかで、この表門は戦火を免れた。明治11年(1878)に帝国博物館 (現東京国立博物館) が開館すると正門として使われ、関東大震災後、現在の本館を改築するのにともない、現在地に移された。門の構造は切妻造り本瓦葺、潜門のつく薬医門である。
参考資料:たいとう名所図会(台東区教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-15
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2005-4)
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2005-4)
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2006-12)
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2005-4)
       
       
       
       
       
       
       
       
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    東京都の重要文化財建造物     2018-1-19 現在 
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名 称 年 代   構造等
寛永寺旧本坊
表門 (黒門)
寛永(1624-1643)頃 三間薬医門、切妻造、本瓦葺
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2003-12)
寛永寺旧本坊表門 (黒門)
(撮影:2008-7)