特徴等
護国寺は神齢山悉地院と号し、元和元年(1681)5代将軍綱吉の生母桂昌院の発願により、上野国 (群馬県) 大聖護国寺の亮賢僧正を開山として創建された真言宗豊山派の大本山である。
現在の本堂 (観音堂) は、元禄10年正月に新営の幕命が下り、7月には落成を迎えて将軍綱吉、桂昌院が参詣し、8月に落慶供養が行われたと伝えられている。大造営が短い期間で行われたことを物語っている。本堂の構造及び形式は、桁行7間、梁間7間、1重、入母屋造、向拝3間、瓦棒銅板葺である。その後の修理はなく、ほぼ創建当時のままに遺存している建物である。徳川幕府の最盛期でその権威と財力を結集し、すぐれた棟梁や職人を動員して建造され、和様唐様の折衷様式の雄大にして華麗な元禄文化を見ることができる。本尊は桂昌院念持仏の天然琥珀観世音菩薩であるが、御前立として木造の如意輪観世音菩薩が須彌壇に安置されている。「悉地院」の扁額は綱吉直筆のものである。また、護国寺から江戸川橋へ抜ける音羽通りは京都の朱雀大路を模して整備されたといわれ、護国寺の広大な境内は、諸仏のご開帳、年中行事、花見、紅葉狩りなど四季を通じて江戸町民に愛されてきた。
参考資料:東京文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)/国指定文化財等DB(文化庁)
2005-8-14
       
       
       
       
護国寺本堂 (撮影:2004-11) 護国寺本堂 (撮影:2004-11)
       
       
       
       
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護国寺本堂 (撮影:2004-1) 護国寺本堂 (撮影:2004-1)
    東京都の重要文化財建造物     2018-1-19 現在 
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名 称 年 代    構造等
護国寺本堂 元禄10年
(1697)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、瓦棒銅板葺
護国寺本堂 (撮影:2004-1)