名 称 | 年 代 | 構造等 | |
旧江戸城田安門 (田安門、櫓門) |
田安門:寛永13年(1636) 櫓門:寛永13年(1636)頃 |
田安門:高麗門、本瓦葺 櫓門:脇戸櫓門、入母屋造、本瓦葺 |
特徴等 |
この田安門の創建年代は不明であるが、「武徳編年集成」などの記録に慶長12年(1607)に焼失したとあり、慶長年間には既に存在していたことは明らかである。また、「譜牒余録」によると寛永6年(1629)には越前福井藩主松平忠昌によって修復されている。現在の田安門は、高麗門の扉にある肘壺金具の刻銘によると寛永13年(1636)に再建されたものである。現存する旧江戸城の建築遺構のうちで、明暦3年(1657)の大火(振袖火事)以前に遡る唯一の文化遺産である。田安門の桝形形式は、曲輪内に埋め込まれたいわゆる入桝形で、江戸城では最も多い右折桝形の一つである。 田安門周辺は古くは田安台といって田安明神の社があり、飯田口、田安口ともいって上州への起点であった。御三卿の田安家は、8代将軍吉宗の次男宗武が享保16年(1731)、北の丸に屋敷を与えられて一家を興し、家名はこの門に由来して名付けられたものである。 参考資料:東京文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-3-16 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |