特徴等 |
清水門の創建年代は不明であるが、伊達家の「御当家紀年録」の記録から元和6年(1620)にはすでに存在していたことは明らかである。その後、寛永元年(1624)に安芸広島藩主浅野長晟によって再建されたが、明暦3年(1657)の大火 (振袖火事) では類焼したものと考えられている。現存する清水門は、高麗門の扉の肘壺金具の刻銘によると万治元年(1658)に再建されたもので、高麗門及び塀と櫓門からなる出桝形の形式である。高麗門を入ると正面は石垣を積み、左側は多門櫓などで囲わずに開放して清水濠に面し、右側は石垣を積み櫓門を構えている。御三卿の清水家は、9代将軍家重の次男重好が宝暦8年(1758)に清水門内に屋敷を与えられて一家を興し、家名はこの門に由来して名付けられたものである。 参考資料:東京文化財ウィーク解説カード(東京都教育庁)/国指定文化財等DB(文化庁) 2005-3-16 |
東京都の重要文化財建造物 2018-1-19 現在 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
旧江戸城清水門 (清水門、櫓門) |
清水門:万治元年(1658) 櫓門:万治元年(1658)頃 |
清水門:高麗門、本瓦葺 櫓門:脇戸櫓門、入母屋造、本瓦葺 |