特徴等
八丈島では多雨湿潤の風土条件と鼠害から収穫物を守るため、高倉が一般的に建てられた。この高倉(十二脚倉)は八丈町末吉に所在する長戸路家住宅にあるもので、安政6年(1859)頃の建造と見られている。間口23尺、奥行16尺と他に例のない規模で、入口扉の狐格子、脇の連子窓など他の高倉とは異なった意匠に地役人としての権威が表れている。大正4年(1915)前後にトタンに葺替え、寄棟を切妻にしたとのことで、鼠返しはなく、大引きが代用となっている。
長戸路家は明応7年(1498)、北条氏の代官として来島以来、代官、お船預、地役人、神主等を勤め、長年に亘って八丈島のために善政を施してきた。急勾配の屋根を持つ武家作りの住居や高倉、邸内の大蘇鉄など、その屋敷構えは現在も保たれており、往時の姿を今日に伝えている。また、近藤富蔵肉筆の八丈実記や御用為等の古文書も多く所蔵しているとのことである。
参考資料:八丈島ガイド(八丈町産業観光課)/八丈島の高倉について(浅井得一)
2019-3-15
高倉(十二脚倉) (撮影:2004-7) 高倉(十二脚倉) (撮影:2004-7)
       
       
       
       
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    東京都指定の有形文化財建造物     2018-8-13 現在
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番号-名称 年 代   構造等
60 高倉(十二脚倉) 安政6年(1859)頃 高床式倉庫、間口23尺、奥行16尺、切妻造、トタン葺