特徴等
高幡山明王院金剛寺は関東三大不動の一つに挙げられ、高幡不動と呼んで親しまれている。その草創は平安時代(794-1192)初期に慈覚大師円仁が清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王を安置されたのに始まるという。
旧五部権現社殿は暦応3年(1340)創建の金剛寺の鎮守社で、境内の奥まったところに位置している。寺伝によると源頼義が奥州反乱鎮圧に際し八幡社を勧請し、のちに稲荷・丹生・高野・清龍権現を合祀し五部権現と称したという。社殿に安置されていた5基の神牌には本地仏の垂迹神の名が刻され、暦応3年(1340)2月28日造の銘があり、国の重要美術品に認定されている。
現存する社殿は、寛文11 年(1671)に再建されたもので、一間社流造、全体は朱漆塗、彫り物の刻線には墨を差し、向拝蟇股は群青等の鮮やかな彩色が施されている。江戸時代前期の社殿として例も少なく、貴重な遺構とされる。
参考資料:現地の説明板(東京都教育委員会)
5005-8-22

社殿覆屋

社殿覆屋
金剛寺旧五部権現社殿
(撮影:2004-11)
金剛寺旧五部権現社殿
(撮影:2004-6)
       
       
       
       
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    東京都指定の有形文化財建造物     2018-8-13 現在
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番号・名称 年 代   構造等
47 金剛寺旧五部権現
社殿
寛文11年
(1671)
一間社流造、桁行1.52m、梁間1.30m、銅板葺、向拝付、覆屋付 
金剛寺旧五部権現社殿
(撮影:2004-6)
金剛寺旧五部権現社殿
(撮影:2004-11)