特徴等
金剛寺は平将門の創立と伝えられているが、元亨(げんこう)年間(1321-1324)に再興され、三田氏、小田原北条氏の帰依を得たという古刹である。
表門は、天保2年(1831)の火災の際に、金剛寺の諸堂のなかで唯一焼失を免れた建造物である。明治の初期に街区の整理により現在地に移築され、その際に屋根、礎盤などが改変されているが、旧状をよく保っている。構造は一間一戸の四脚門で、屋根は切妻造、瓦棒銅板葺である。2本の主柱から1.06m離れた門の外側と内側に控柱を立てている。門の主柱と控柱をつなぐ頭貫の木鼻と拳鼻部分に彫られた渦模様の上に鳥が飛ぶような絵様と呼ぶ装飾は、桃山時代の技法を伝えいるといわれており、この絵様から、表門が建立されたのは17世紀前半ないし中頃と推定されている。この表門は小型で簡素な門であるが、江戸時代後期の、彫刻が多用された門と異なる趣がある。
参考資料:現地の説明板(東京都教育委員会)

2005-8-24
金剛寺表門 (撮影:2004-1) 金剛寺表門 (撮影:2004-1)
     
     
       
       
       
       
       
       
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    東京都指定の有形文化財建造物     2018-8-13 現在
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金剛寺表門 (撮影:2004-1)
番号・名称 年 代   構造等
42 金剛寺表門 江戸初期(17世紀前半
ないし中頃)
四脚門、桁行2.75m、梁間1.12m、切妻造、銅板葺