特徴等 |
口伝によれば、承平年間(931-938)、源経基が常陸の鹿島大神の分霊を移して鹿島大明神として祀り、また、玉川大明神は江戸への玉川上水開通に当たり相殿としてその無病安全を祈念したという。 本殿は、建築様式などから元和6年(1620)の創建と推定されており、その後、元禄2年(1689)に「二亦尾村」(現青梅市二亦尾)の大工福富市郎左衛門によって修理が加えられている。形式は一間社流造、屋根は板葺目板打ち、身舎(もや)の規模は桁行1.2m、梁間1.2m、棟高3.5mである。建物の一部に腐朽、塗装の剥落なども見られるが、本殿全体が覆屋によって保護されてきたため、比較的良好な状態で旧規を保っている。特に板葺目板打ちの屋根をもつ当本殿は、都内でも数少ない作例の一つであり、近世初期における神社本殿の建築様式を知ることができる貴重な遺構である。 参考資料:現地の説明板(東京都教育委員会/青梅市教育委員会) 2005-8-24 |
東京都指定の有形文化財建造物 2018-8-13 現在 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
41 鹿島玉川神社 本殿 |
元和6年 (1620)(推定) |
一間社流造、板葺、覆屋付 |