特徴等
慈眼寺(じげんじ)の正確な由緒は明らかでないが、文明年間(1469-86)に宥日(ゆうにち)によって中興されたという。武運長久の祈願所として武田家の保護を受け伽藍が整えられたが、天正10年(1582)に織田信長の兵火によりすべて焼失した。現在の建物は江戸前期に建てられたもので、鐘楼門、本堂及び庫裏の3棟が重要文化財に指定されている。地方寺院の伽藍の形を良くとどめ、貴重な遺構と評されている。
庫裏は僧侶の生活の場で改変が多かったが、近年解体修理を行い、建築当初の茅葺きの姿に復元された。
参考資料:現地の説明板(文化庁/山梨県・一宮町教育委員会)/笛吹市HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2007-2-28
慈眼寺庫裏 (撮影:2007-2) 慈眼寺庫裏 (撮影:2007-2)
       
       
       
       
番号・名称 年 代   構造等
072 慈眼寺
庫裏
元和8年(1622)
-寛文7年(1667)
桁行14.6m、梁間11.8m、一重、一部二階、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、茅葺、背面庇附属、檜皮葺
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    山梨県の重要文化財建造物      2018-1-26 現在
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