特徴等
洞春寺 (どうしゅんじ) のある地には、応永11年(1404)に大内盛見が祈願所として建立し、盛見の死後はその菩提寺となった国清寺があった。その後、毛利氏が防長に移封されてから毛利隆元の菩提寺となり、さらに明治元年(1968)に毛利元就の菩提寺となって洞春寺と改名され、現在に至っている。戦国時代に中国地方10ヵ国を治めた毛利元就は安芸郡郡山城にて75歳で没し、菩提寺も郡山にあったが、毛利氏の防長移封により萩城内に、さらに山口に移された。
観音堂は、永享2年(1430)に大内持盛を開基として創建された滝の観音寺の仏殿で、大正4年(1916)に洞春寺境内に移建されたものである。桁行三間、梁間三間、入母屋造、一重裳階 (もこし) 付で、一部に禅宗様式を取り入れている。正面に桟唐戸、左右に花頭窓を設け、下層を板軒、上層を大疎垂木とする、素朴で落ち着いた佇まいのお堂である。
参考資料:山口市観光情報サイト・観光パンフレット(山口観光コンベンション協会)/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-10-20
       
       
       
       
番号・名称 年 代   構造等
09 洞春寺観音堂 永享2年(1430) 桁行三間、梁間三間、入母屋造、一重もこし付、銅板葺
洞春寺観音堂 (撮影:2018-10)
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洞春寺観音堂 (撮影:2018-10) 洞春寺観音堂 (撮影:2018-10)
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