特徴等 |
當麻寺 (たいまでら) は用明天皇の皇子麻呂子王が推古天皇20年(612)に河内に建てた万宝蔵院に始まり、その後麻呂子王の孫當麻国見が二上山東麓の現在地に移して、この地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられている。 奥院 (おくのいん) は當麻寺の塔頭の一つで、當麻寺の本堂 (曼陀羅堂) の背後 (西) の高所に位置し、古くは往生院と称する知恩院の奥院であった。 方丈は、本堂の北に建つ6室からなる書院造の建物である。比較的太い角柱が一間間隔にたち、古式を示している。仏壇が撤去されるなど改造はあるが、柱にのこる痕跡から復原は可能とされる。 参考資料:国指定文化財等DB(文化庁) 2019-9-7 |
當麻奥院方丈 (撮影:2008-3) |
番号-名称 | 年 代 | 構造等 | |
277 當麻奥院方丈 | 慶長17年 (1612) |
桁行12.0m、梁間9.0m、一重、寄棟造、本瓦及び桟瓦葺 |
當麻奥院方丈 (撮影:2008-3) | 當麻奥院方丈 (撮影:2008-3) |
奈良県の重要文化財建造物 2018-2-9 現在 |