特徴等
喜光寺は、養老6年(722)に行基が奈良市西部のこの地に建てた寺院で、当初は地名から菅原寺と呼ばれたが、後年喜光寺と改名された。行基建立の寺院の中で唯一平城京内にあり、行基の布教活動・社会事業の重要な拠点寺院となった。その後、時代の移り変わりの中で盛衰はあったが、平成22年(2010)には南大門も再建され現在に至っている。
本堂は正面5間・奥行4間・高さ17.1m、寄棟造、本瓦葺で、境内の中央に南面して建っている。周囲に裳階を付け、南側一間を吹き放ちとする。堂内には本尊 阿弥陀如来坐像はじめ観世音・勢至菩薩が祀られている。東大寺建立に先だって本堂を建立したという伝承から「試みの大仏殿」ともよばれるが、奈良時代の本堂(金堂)は明応8年(1499)に焼失し、現存するのは天文13年(1544)の再建になるものである。
参考資料:喜光寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2019-8-18
喜光寺本堂 (撮影:2008-6) 喜光寺本堂 (撮影:2008-6)
       
       
       
       
番号-名称 年 代   構造等
140 喜光寺本堂 天文13年
(1544)
桁行5間、梁間4間、一重裳階付、寄棟造、本瓦葺
       
       
       
       
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    奈良県の重要文化財建造物      2018-2-9 現在
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