特徴等
般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれ、都が奈良に遷って天平7年(735)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。平安の頃には学問寺として栄えたが、治承4年(1180)の南都攻めにより伽藍は廃燼に帰し、その後鎌倉時代になって、興正菩薩叡尊や観良房良恵によって伽藍が再建された。
経蔵は一切経(大蔵経)を収納するお堂で、十三重塔の東に建っている。桁行3間・梁間2間、一重、切妻造、本瓦葺の建物で、当初、床のない前面開放の形式で建てられ何に使われたかは不明であるが、鎌倉末期に経蔵に改造された。
参考資料:般若寺HP/現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁)
2019-8-15
般若寺経蔵 (撮影:2008-6) 般若寺経蔵 (撮影:2008-6)
番号-名称 年 代   構造等
121 般若寺経蔵
鎌倉後期
(1275-1332)
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
       
       
       
       
       
       
       
       
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    奈良県の重要文化財建造物      2018-2-9 現在
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