特徴等
般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれ、都が奈良に遷って天平7年(735)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため大般若経を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。平安の頃には学問寺として栄えたが、治承4年(1180)の南都攻めにより伽藍は廃燼に帰し、その後鎌倉時代になって、興正菩薩叡尊や観良房良恵によって伽藍が再建された。
楼門は一間一戸、入母屋造、本瓦葺で、寺の西側を通る京街道に西面して建っている。文永年間(1264-74)に再建された廻廊の西門で、正門であった南大門は兵火で失われ、この楼門のみが残った。建築様式は和様を基調とし天竺様(大仏様)が取り入れられており、美しく軽快なたたずまいをみせて建っている。
参考資料:般若寺HP/現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁)
2019-8-15
       
       
       
       
番号-名称 年 代   構造等
120 般若寺楼門
(国宝)
文永(1264
-1274)頃 
一間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
般若寺楼門 (撮影:2008-6) 般若寺楼門 (撮影:2008-6)
       
       
       
       
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    奈良県の重要文化財建造物      2018-2-9 現在
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般若寺楼門 (撮影:2008-6)