興福寺大湯屋 (撮影:2008-4) 興福寺大湯屋 (撮影:2008-7)
番号-名称 年 代   構造等
074 興福寺大湯屋 応永
(1394-1427)頃 
桁行四間、梁間四間、一重、西面入母屋造、東面切妻造、本瓦葺
     
     
       
       
       
       
       
       
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    奈良県の重要文化財建造物      2018-2-9 現在
特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
大湯屋 (おおゆや) は桁行4間・梁間4間、1重、西面入母屋造、東面切妻造、本瓦葺の建物で、境内東方に位置している。僧侶の入浴のための施設で奈良時代から設けられていたと考えられているが、文献での初見は天治元年(1124)で、焼失の記載がある。その後数回の被災を経て室町時代に再建されたのが現在の建物である。内部は床を敷かず、地面に直接鉄の湯釜を南北に2個据える。南の湯釜は完形で、口径150cm、胴径186cm、高さ129cm。北の釜は口縁の部分だけしか残らないが、口径144cmを計る。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
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