特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
三重塔は康治2年(1143)崇徳天皇の中宮皇嘉門院聖子によって建てられたが、治承4年(1180)焼失、間もなく再建されたのが現在の塔である。北円堂とともに興福寺で最古の建物で、木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し、平安時代の建築様式を伝える。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
興福寺三重塔 (撮影:2008-4) 興福寺三重塔 (撮影:2008-4)
番号-名称 年 代   構造等
073 興福寺三重塔
(国宝)
鎌倉前期
(1185-1274)
三間三重塔婆、本瓦葺
     
     
       
       
       
       
       
       
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