特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
北円堂は一重、本瓦葺の八角円堂で、境内の西隅に建っている。藤原不比等の1周忌にあたる養老5年(721)に元明・元正天皇が、長屋王に命じて建てさせた。現在の建物は、治承4年(1180)の被災後、承元4年(1210)頃に再建されたものである。華麗で力強く、鎌倉時代の建物であるにもかかわらず、奈良時代創建当初の姿をよく残し、三手先斗栱 (みてさきときょう) を用い、軒は三軒 (みのき )、地垂木は六角の断面にする。内陣は天蓋が輝き、組物間の小壁には笈形 (おいがた) が彩色される。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
     
     
       
       
興福寺北円堂 (撮影:2008-4) 興福寺北円堂 (撮影:2007-3)
番号-名称 年 代   構造等
072 興福寺北円堂
(国宝)
承元4年
(1210)
八角円堂、一重、本瓦葺
       
       
       
       
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