番号-名称 年 代   構造等
071 興福寺南円堂 寛保元年
(1741)
八角円堂、一重、本瓦葺、正面拝所附属
     
     
       
       
特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
南円堂は一重、本瓦葺の八角円堂で、境内の南西部に建っている。弘仁4年(813)藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建てたものであるが、その後焼失が繰り返され、現在の建物は江戸中期の寛保元年(1741)の再建である。現在は、西国三十三所第九番札所として多くの参詣者で賑わっている。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
興福寺南円堂 (撮影:2007-3)
       
       
       
       
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興福寺南円堂 (撮影:2007-3) 興福寺南円堂 (撮影:2007-3)
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