番号-名称 年 代   構造等
070 興福寺東金堂
(国宝)
応永22年
(1415)
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
     
     
       
       
特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
東金堂 (とうこんどう) は7間・梁間4間、1重、寄棟造、本瓦葺のお堂で、五重塔の北に西面して建っている。神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って造立されたが、五重塔とともにたびたび火災に遭い、現在の建物は室町時代の応永22年(1415)に建てられたもので、6代目にあたる。前1間を吹き放しとし、三手先斗栱(みてさきときょう)を用いるなど、奈良時代の雰囲気を色濃く伝える。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
興福寺東金堂 (撮影:2007-3) 興福寺東金堂 (撮影:2007-3)
       
       
       
       
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