番号-名称 年 代   構造等
069 興福寺五重塔
(国宝)
応永33年
(1426)
三間五重塔婆、本瓦葺
興福寺五重塔 (撮影:2007-3)
特徴等
法相宗の大本山興福寺は、藤原鎌足の夫人鏡女王が夫の回復を祈願して造営した山背国「山階寺」を起源とし、飛鳥の地を経て、和銅3年(710)平城遷都の際に藤原不比等により現在地に移され、興福寺と名付けられた。明治の廃仏毀釈で一時荒れたが、その後復興が図られている。
五重塔は天平2年(730)藤原不比等の娘光明皇后の創建であるが、その後5回に及ぶ焼失・再建があり、現在の塔は、応永33年(1426)に再建されたものである。三手先斗栱 (みてさきときょう) を用いるなど古様によるが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れられている。初層には伝統を受け継いで薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。猿沢の池から望む姿は、古都奈良を代表する景観の一つとして広く親しまれている。
参考資料:興福寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)

2019-8-11
     
     
       
       
興福寺五重塔 (撮影:2007-3) 興福寺五重塔 (撮影:2007-3)
       
       
       
       
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