特徴等 |
手向山神社(手向山八幡宮)は、奈良時代、聖武天皇が大仏建立の守り神として、大分県の宇佐神宮から八幡神を勧請されたのに始まり、以後、東大寺の鎮守社として崇敬されてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。 宝庫は桁行3間・梁間2間、寄棟造、本瓦葺の校倉造建築で、諸社殿の建つ境内の西に位置している。江戸時代に東大寺から移されたものといわれ、すぐ北には同じく校倉造の東大寺法華堂経庫が建っている。 参考資料:社頭の案内板/国指定文化財等DB(文化庁) 2019-8-10 |
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手向山神社宝庫 (撮影:2006-12) | 手向山神社宝庫 (撮影:2008-5) |
番号-名称 | 年 代 | 構造等 | |
063 手向山神社 宝庫 |
奈良 (710-793) |
桁行三間、梁間二間、校倉、寄棟造、本瓦葺 |
奈良県の重要文化財建造物 2018-2-9 現在 |