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特徴等
金剛寺は、奈良時代の天平年間(729-749)に行基によって開かれ、平安時代に弘法大師(空海)が修行した地といわれている。その後400年の間に荒廃したが、平安時代の終わりに高野山の阿観上人が後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受けて伽藍を再興したといわれる。
金堂は7間四方、入母屋造、本瓦葺のどっしりとしたお堂で、楼門や食堂より一段高いところに多宝塔と対面して建つ。正面に1間の向拝を持ってその下に木階を設け、周囲に高欄付の縁を廻らす。鎌倉後期・元応2年(1320)の建造である。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/金剛寺案内リーフレット/河内長野市HP
2009-2-17
金剛寺金堂 (撮影:2009-2) 金剛寺金堂 (撮影:2009-2)
    大阪府の重要文化財建造物        2018-2-1 現在
名 称 年 代   構造等
金剛寺金堂 元応2年
(1320)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、正面向拝一間、背面一間通り三間庇、本瓦葺
金剛寺金堂 (撮影:2009-2)