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特徴等
金剛寺は、奈良時代の天平年間(729-749)に行基によって開かれ、平安時代に弘法大師(空海)が修行した地といわれている。その後400年の間に荒廃したが、平安時代の終わりに高野山の阿観上人が後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受けて伽藍を再興したといわれる。
多宝塔は金堂と対面して建つ杮葺 (こけらぶき) の塔で、上層が円筒形、下層が方形の塔身をもち、下層の屋根の上に亀腹と呼ばれる漆喰で固められた丸みが設けられている。正面に高欄付の木階を設け、周囲に同じく高欄付の縁をめぐらす。創建年代は明確ではないが、建久2年(1191)に修理を計画した記録が残ることから、年代が明らかな最古(建久5年)の多宝塔とされる滋賀県の石山寺のものより早い時期の建立と考えられている。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/金剛寺案内リーフレット/河内長野市HP
2009-2-17
    大阪府の重要文化財建造物        2018-2-1 現在
名 称 年 代   構造等
金剛寺多宝塔 平安後期
(1086-1184) 
三間多宝塔、こけら葺
金剛寺多宝塔 (撮影:2009-2) 金剛寺多宝塔 (撮影:2009-2)