特徴等
「平野郷社縁起」絵巻 (享保3年(1718)成立) によると、平安の初期、征夷大将軍坂上田村麿の子、広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構え、その子当道が貞観4年(862)に素盞嗚尊を祀る祇園社を創建したのが杭全神社 (くまたじんじゃ) の始まりとされる。その後、建久元年(1190)に熊野證誠権現を勧請して第三殿が創建され、元享元年(1321)に熊野三所権現を勧請して第二殿が建立されて現在の3社ができた。古くは祇園社、熊野権現社と呼ばれたが、明治3年(1970)に杭全神社と改称された。
現存する本殿第一殿は、3殿並立する本殿のうち、向って左端で、式年造替で取壊された春日大社本社本殿(第三殿)を移したものである。後世の改修はほとんどなく、よく旧規を保っている。本殿第二殿と第三殿は、いずれも室町後期の永正10年(1513)の建立で、檜皮葺の素朴な社殿である。形式は、第二殿が三間社流造、第三殿が一間社春日造である。
参考資料:現地の説明板(平野区役所)/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-11-8
       
       
       
       
杭全神社本殿 第三殿 (撮影:2007-3)
杭全神社本殿 第一殿 (撮影:2007-3) 杭全神社本殿 第二殿 (撮影:2007-3)
名 称 年 代   構造等
杭全神社本殿 第一殿 元禄3年(1690) 一間社春日造、檜皮葺
杭全神社本殿 第二殿  永正10年(1513)  三間社流造、檜皮葺 
杭全神社本殿 第三殿   永正10年(1513) 一間社春日造、檜皮葺 
       
       
       
       
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