特徴等
豊臣秀吉が築いた大阪城は元和元年(1615)の大阪夏の陣ですべて焼失、現存する遺構は元和6年(1620)から徳川幕府により再建されたものである。
多聞櫓北方塀は、多門櫓の西端から西外濠に沿って北に延び千貫櫓に達する塀である。延長20.3m、本瓦葺で、銃眼3所、石狭間6所を設け、大手門、西の丸西面を防御する。建造は江戸末期(1830-1867)である。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)
2018-11-3
大阪城多聞櫓北方塀 (撮影:2006-12) 大阪城多聞櫓北方塀 (撮影:2007-1)
       
       
       
       
名 称 年 代   構造等
大阪城
多門櫓北方塀
江戸末期
(1830-1867)
延長20.3m、銃眼三所、石狭間六所、本瓦葺
大阪城多聞櫓北方塀 (撮影:2007-1)
       
       
       
       
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