特徴等 |
豊臣秀吉が築いた大阪城は元和元年(1615)の大阪夏の陣ですべて焼失、現存する遺構は元和6年(1620)から徳川幕府により再建されたものである。 千貫櫓は西の丸の西面、西外堀に面して建つ2重2階、本瓦葺の櫓で、大手門を西北部から防御している。元和6年(1620)の造営で、西の丸の西北部に建つ乾門とともに、現存する最も古い建築である。名前の由来は、織田信長の石山本願寺攻めのとき、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、あの櫓さ落とせるなら銭千貫文与えても惜しくはないと話し合ったというエピソードが伝わっている。 参考資料:現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁) 2018-11-3 |
名 称 | 年 代 | 構造等 | |
寬永6年(1629) | 二重二階、本瓦葺 |
大阪府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |