名 称 年 代   構造等
大阪城大手門 嘉永元年(1848)頃 高麗門、本瓦葺
特徴等
大阪城は豊臣秀吉が天正11年(1583)から約15年の歳月をかけて築城したが、元和元年(1615)の大阪夏の陣ですべて焼失した。徳川幕府は元和6年(1620)から10年かけて大阪城を再建したが、全域にわたる大規模な盛土と石垣の積み上げ、堀の掘り下げが行われるなど、秀吉が建築したものとはまったく別のものであった。この天守も寛文5年(1665)の落雷で焼失したまま再建されず、その他の建物の多くも明治維新(1886)の動乱で焼失してしまったが、徳川による再建当初の乾門、千貫櫓など13棟の建物はが現存し、重要文化財に指定されている。天守閣は昭和6年(1931)に博物館として建築された復興天守閣の第1号で、登録文化財になっている。
大手門は嘉永元年(1848)頃再建された本瓦葺の高麗門で、桝形を形成している。桝形は石垣で堅固に造られ、大手門正面の見付石の表面積は48㎡もあり城内第4位、左手の巨石は38㎡もある。これらの巨石はいずれも徳川大阪城築城のときに瀬戸内海の島々から切り出して運ばれてきたものである。築城は諸大名に工事を分担させた、いわゆる天下普請として行われた。
参考資料:現地の説明板/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-11-1
大阪城大手門 (撮影:2006-12) 大阪城大手門 (撮影:2021-5)
       
       
       
       
       
       
       
       
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大阪城大手門 (撮影:2006-12) 大阪城大手門 (撮影:2006-12)
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