特徴等
大谷家住宅は、昭和初期の大恐慌時にお助け普請として、当時深谷町長であった大谷藤豊にって建てられた。大谷家は江戸時代中期から続く中山道深谷宿の有力商家で、大正11年(1922)には、1万坪の土地と多額の寄付をして深谷町立商業学校(現県立深谷商業高等学校)を建設している。大谷家住宅は、連日100人以上の職人を1年半雇用して建設されたといわれている。
米蔵は、主屋のある敷地と道路を挟んだ北側にある。鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺で、外壁はモルタル塗で目地をつけ、石造風に見せている。当時の個人用住宅で鉄筋コンクリート造は非常に珍しく、深谷周辺では最初期の試みではないかと考えられている。小屋組はキングポストトラスで桁・垂木を受けた木造で、当時の混構造を示している。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/埼玉県教育委員会HP
2008-1-17
大谷家住宅米蔵
(撮影:2005-7)
大谷家住宅米蔵
(撮影:2005-7)
番号-名称 年 代   構造等
077 大谷家住宅
米蔵
昭和6年
(1931)
鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺、建築面積80㎡
h:      
     
       
       
       
       
       
       
リストに戻る
    埼玉県の登録文化財建造物      2018-12-27 現在
リストに戻る