特徴等 |
川越と江戸を結ぶ新河岸川舟運の船着場であった福岡河岸は、3軒の船問屋を中心に町並みが形成されていた。その一つである回漕問屋吉野屋は、安永2年(1773)に船問屋として江戸幕府より公認され、大正末年まで回漕業を営んでいた。吉野屋の敷地内には、最盛期の明治中期には船荷を納めた1番から12番までの土蔵があったが、現在ではこの文庫蔵だけが伝わっている。土蔵形式は、木造2階建で、梁行2間・桁行2間半を測り、建坪は1、2階とも5坪(16.5㎡)である。外壁は、昭和の中頃に改修されたが、屋号が入った鬼瓦は明治中期の創建当初の姿を伝えている。 参考資料:現地の説明板(上福岡市教育委員会)/国指定文化財等DB(文化庁) 2006-11-7 |
番号-名称 | 年 代 | 構造等 | |
015 回漕問屋吉野屋土蔵 |
明治(1868 -1911)中期 |
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積20㎡ |
埼玉県の登録文化財建造物 2018-12-27 現在 |
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