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特徴等
粉河寺 (こかわでら) は、奈良時代末の宝亀元年(770)に、紀伊国那賀郡に住む猟師大伴孔子古によって開創されたという古刹で、和歌山県の北部、紀の川市粉河に所在している。古来、広く信仰を集めて繁栄してきたが、豊臣秀吉の兵火により多くの堂塔や寺宝が焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて諸堂が再建され、現存の姿になった。大門、中門、本堂及び千手堂重要文化財に指定されており、その他の堂宇や本堂前の庭園 (国の名勝) などと一体となって、往年の伽藍のたたずまいを今に伝えている。
千手堂 (せんじゅどう) は方三間、宝形造で、一間の向拝を設ける。宝暦10年(1760)の建立になり、正面に千手観世音菩薩、両側の脇壇には紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌が祀られている。
参考資料:粉河寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-7-1
     
     
       
       
粉河寺千手堂 (撮影:2010-9) 粉河寺千手堂 (撮影:2010-9)
番号・名称 年 代   構造等
087 粉河寺
千手堂
宝暦10年
(1760)
方三間、一重、宝形造、向拝一間、本瓦葺
    和歌山県の重要文化財建造物      2018-1-30 現在