特徴等 |
粉河寺 (こかわでら) は、奈良時代末の宝亀元年(770)に、紀伊国那賀郡に住む猟師大伴孔子古によって開創されたという古刹で、和歌山県の北部、紀の川市粉河に所在している。古来、広く信仰を集めて繁栄してきたが、豊臣秀吉の兵火により多くの堂塔や寺宝が焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて諸堂が再建され、現存の姿になった。大門、中門、本堂及び千手堂が重要文化財に指定されており、その他の堂宇や本堂前の庭園 (国の名勝) などと一体となって、往年の伽藍のたたずまいを今に伝えている。 本堂は二重の正堂とその前方の一重の礼堂からなる複合仏堂で、享保5年(1720)の建造である。正堂は桁行七間、梁間六間で、入母屋屋根の正面を軒唐破風とする。礼堂は桁行九間、梁間四間で、屋根の正面に千鳥破風を設け、三間の向拝に軒唐破風を付ける。正面に三段の破風を見せる堂々たる構えの仏殿であるが、正堂と礼堂のバランスが良く、軽快感もあるたたずまいである。 参考資料:粉河寺HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2018-7-1 |
粉河寺本堂 (撮影:2010-9) | 粉河寺本堂 (撮影:2010-9) |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
086 粉河寺 本堂 |
享保5年 (1720) |
正堂:桁行七間、梁間六間、両側面背面庇付、二重、入母屋造、正面軒唐破風付 礼堂:桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、正面向拝三間、軒唐破風付、背面中央部を正堂に組み込む |
和歌山県の重要文化財建造物 2018-1-30 現在 |