番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
085 粉河寺 中門 |
天保3年 (1832) |
三間一戸楼門、入母屋造、正面軒唐破風付、本瓦葺、両側面袖塀附属 |
特徴等 |
粉河寺 (こかわでら) は、奈良時代末の宝亀元年(770)に、紀伊国那賀郡に住む猟師大伴孔子古によって開創されたという古刹で、和歌山県の北部、紀の川市粉河に所在している。古来、広く信仰を集めて繁栄してきたが、豊臣秀吉の兵火により多くの堂塔や寺宝が焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて諸堂が再建され、現存の姿になった。大門、中門、本堂及び千手堂が重要文化財に指定されており、その他の堂宇や本堂前の庭園
(国の名勝) などと一体となって、往年の伽藍のたたずまいを今に伝えている。 中門は、大門から石畳の参道を三百米ほど進んだ石段の上に建つ三間一戸の楼門で、正面に軒唐破風を付ける。天保3年(1832)の建立になり、四天王が祀られている。 参考資料:粉河寺HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2018-7-1 |
粉河寺中門 (撮影:2010-9) | 粉河寺中門 (撮影:2010-9) |
和歌山県の重要文化財建造物 2018-1-30 現在 |