特徴等
粉河寺 (こかわでら) は、奈良時代末の宝亀元年(770)に、紀伊国那賀郡に住む猟師大伴孔子古によって開創されたという古刹で、和歌山県の北部、紀の川市粉河に所在している。古来、広く信仰を集めて繁栄してきたが、豊臣秀吉の兵火により多くの堂塔や寺宝が焼失した。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて諸堂が再建され、現存の姿になった。大門、中門、本堂及び千手堂が重要文化財に指定されており、その他の堂宇や本堂前の庭園 (国の名勝) などと一体となって、往年の伽藍のたたずまいを今に伝えている。
大門 (だいもん) は三間一戸、総欅造、丹塗りの楼門で、境内の西南に雄大な姿を見せて建っている。宝永4年(1706)の建立になり、金剛力士は仏師春日の作といわれている。
参考資料:粉河寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2018-7-1
     
     
       
       
粉河寺大門 (撮影:2010-9)
       
       
       
       
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番号・名称 年 代   構造等
084 粉河寺
大門
宝永4年
(1754)
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
    和歌山県の重要文化財建造物      2018-1-30 現在