特徴等 |
戊辰戦争に敗れた仙台藩の支藩亘理藩の士族たちの多くは新天地を求めて北海道に移住したが、三戸部家(水戸部子之吉一家)は明治6年(1873)の第5回亘理開拓武士団として、亘理郡畑村から下萩原に入植した。住宅は寄棟造、茅葺で、かんなを用いず、手斧で削り、くぎを使わず組み立てによっている。土間と2室の小規模な住宅ながら、架構は木割が太くがっしりした造りである。明治10年代後半の建造で、昭和44年(1969)に萩原から現在地に移築・復元された。開拓農家の貴重な遺構とされる。 参考資料:現地の説明板(伊達市教育委員会)/文化庁HP 2018-10-10 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
22 旧三戸部家住宅 | 明治10年代 (1877-1986)後半 |
桁行9.1m、梁間6.4m、寄棟造、茅葺 |
北海道の重要文化財建造物 2017-11-15 現在 |