リストに戻る
姫路城太鼓櫓北方土塀 (撮影:2023-7) 姫路城太鼓櫓北方土塀 (撮影:2023-7)
       
       
       
       
リストに戻る
特徴等
姫路城は、姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝わり、その後豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり、次いで慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ、慶長14年(1509)末には概ね完成したと考えられている。我国の城郭建築最盛期を代表する重要な城郭であり、平成5年(1993)には世界文化遺産に登録された。白漆喰塗りの城壁の美しさから、白鷺城の名で呼ばれている。
太鼓櫓北方土塀は、太鼓櫓から北に延びて帯の櫓に至る土塀である。延長35.0mで、銃眼十六ヵ所を設け、本丸東南腰曲輪東辺の守りを固めている。
参考資料:国指定文化財等DB (文化庁)/世界遺産姫路城website (姫路城管理事務所)
2023-8-13
     
     
       
       
    兵庫県の重要文化財建造物       2018-2-1 現在
番号・名称 年 代   構造等
231 姫路城太鼓櫓北方土塀 慶長6-14年
(1601-1609)
延長35.0m、銃眼十六所、本瓦葺
姫路城太鼓櫓北方土塀 (撮影:2023-7)