特徴等
姫路城は、姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝わり、その後豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり、次いで慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ、慶長14年(1509)末には概ね完成したと考えられている。我国の城郭建築最盛期を代表する重要な城郭であり、平成5年(1993)に世界文化遺産に登録された。白漆喰塗りの城壁の美しさから、白鷺城の名で呼ばれている。
水の一門北方築地塀は、イの渡櫓南方土塀と直交する形で、ほの門のすぐ南に設けられている。姫路城にある唯一の築地塀で、秀吉時代のものとされる。この築地塀と、乾小天守の北西角の石垣との間に水の一門が開かれている。水の一門から南は水曲輪となる。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/世界遺産姫路城website(姫路城管理事務所)
2023-8-23
記写真(右側)の説明
手前の土塀は、左が「イの渡櫓南方土塀」、右が「水の一門西方土塀」です。その間にあるのが「水の一門北方築地塀」で、「イの渡櫓南方土塀」の下に「ほの門」が開かれています。手前は「西北腰曲輪」で、背後に見えるのは天守の北面です。
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番号・名称 年 代   構造等
203 姫路城水の一門北方築地塀 慶長6-14年(1601-1609) 延長5.2m、本瓦葺
       
       
       
       
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    兵庫県の重要文化財建造物       2018-2-1 現在
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下記の説明参照
姫路城水の一門北方築地塀 (撮影:2023-7) 姫路城水の一門北方築地塀 (撮影:2023-7)