特徴等 |
姫路城は、姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝わり、その後豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり、次いで慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ、慶長14年(1509)末には概ね完成したと考えられている。我国の城郭建築最盛期を代表する重要な城郭であり、平成5年(1993)に世界文化遺産に登録された。白漆喰塗りの城壁の美しさから、白鷺城の名で呼ばれている。 イの渡櫓南方土塀は、イの渡櫓から南に延び、西北腰曲輪と本丸北曲輪を区切る土塀で、南端に両曲輪を繋ぐほの門が設けられている。延長は12.3mで、銃眼を九ヵ所設けている。本丸北曲輪は天守の北に広がる東西に細長い曲輪で、東は搦手東曲輪まで達している。 参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/世界遺産姫路城website(姫路城管理事務所) 2023-8-21 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
195 イの渡櫓南方土塀 | 慶長6-14年(1601-1609) |
隅櫓式櫓門、本瓦葺 |
兵庫県の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |